1に健康、2に家族、3、4がなくて5に仕事

〜家族を中心とした生き方〜

2011年4月18日

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昨日の友人の結婚式において友人の会社のお偉いさんの話の中で上記の「1に健康、2に家族、3,4がなくて5に仕事」という言葉があった。
結婚式のスピーチではよく使われるフレーズではあるが、昨日の私のとってはとても重い言葉だった。
それは健康の大切さ、健康と家族の関係、家族と仕事の関係についてヘルニアの手術をして以降非常に考えさせられているためである。


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健康の大切さ。いうまでもないことだが、おそらく健康を損ねた人でないと本当の言葉の意味が分からないかもしれない。
更に言えば健康を損ねる程度であるが、おそらく、長期寝たきりなどで自分の体力が極端になくなっている状況と一過性的に寝込んでしまった人とではおそらく言葉以上に感じ方に違いがあるように思う。

各言う私もヘルニアの手術でおよそ1ヶ月半寝たきりの状況になり、そしてほぼ体力0で会社に復帰してからの今までの1ヵ月半を経験して思うのは健康の大切さである。

もっといえば、体力は日常の生活の積み重ねで出来上がっており、健康を害し、長期寝たきりになると、今まで積み上げてきたものが砂上の楼閣のように崩れていくこと、数十年かけて築いてきたものは、やはり一朝一夕には戻らないということを痛感させられる。

具体的に言えば、歩いているがおそらく、以前のような勢いのある歩き方ではないのだろう。

同じような日常を過ごしているようだが、夕方になると異常な疲労感に襲われること。翌日の朝には体の節々が痛み、疲れが抜けない感じがすること。

また、免疫機能が下がっているせいか、絶えず少し風邪気味であること。ヘルニアで寝込む前の自分とは全然違う自分がそこにはいるのである。それくらい、健康という長年積み上げてきたことは失わないように注意をしなければならないということだ。


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次に思うのは健康と家族の関係である。
そんなもの関係あるのかと思うかもしれないが、私は実は子供が生まれてからぎっくり腰というものを乱発するようになり、急激に腰を痛め、挙句のはてに長男が生まれてから2年後にヘルニアと宣告された。

なぜか?答えは簡単です。

長男が生まれる前にしていた定期的な運動、おそらく最低週に2日はジョギング、水泳、自転車、筋トレなど、を行っていたが、長男が産まれ、3年弱共働きで育て、まったくといっていいほど運動する時間がなくなり急激に体力がなくなった。

その環境の中で遊びに行った先で寝てしまう長男を抱っこし何度も家まで運んだこと、つまり体力の低下と負荷の増大が同時に来たためだろう。
運動に関してもっというと自分で運動をする時間を作らなくなったのである。
なぜか?それは自分が運動するということより自分の助けを求めている人がいたのです。

それは妻であり長男であり、また、私自身としても妻と長男と過ごすかけがえのない時間を確保するためであった。
そうなのです。まさに私にとっては健康と家族の関係なのです。

では、私はそのことを後悔しているのかといえば、まったく後悔していません。
妻は育児ノイローゼなどになることなく、幸せに過ごしてくれたように思えます。
長男は、すくすく、まっすぐ、健やかに、そしてとても素直に育ち、自慢の息子に育っています。なので、同じ状況になったらおそらく同じことをするでしょう。

なぜなら、それがおそらく私の生き方そのものなのです。
心の中で究極をいえば、いつでも家族のためなら死ねると思うところがあります。私はそれでいいのです。

でも、健康でないと家族を守れないのも事実。たとえば、地震のときに私が寝たきり状態だったらさぞかし妻は心細かったと思う。
なので、今は一刻も早く体力を戻すことが重要。そして、妻や子供の協力を得ながら、もしくは妻や子供と一緒に、出来る限り体力が落ちないように定期的な運動をすることは絶対に必要なのである。


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次に家族と仕事の関係。
私は上記でも分かるとおり家族一番です。
そして、会社の全社員にとっても家族を一番とし、仮に大事な仕事と家族の大事が重なった時には家族の大事を優先できるような会社の経営、仕事のマネジメントを心がける集団、つまり、困った時にはお互い様で相互に助け合える組織であってほしいと思います。


ただ、これが非常に難しい。


まず、第一に同居する家族がいない人にとって家族のいる生活を理解することは難しいという現実がある。理解を示さない人が一人でも集団にいると、その利害と一致する人もしくは影響を受け、それに同調する人が必ず発生し、途端にその集団の言葉は暴力と化し、その人は仕事が出来ない人、もしくは仕事上では信頼できない人ということになる。

逆に皆が助け合う組織であれば、仮にそういう状況があったとしても、任せておけ!俺がやっておくよ。という人が出てきて、相互にそのような行動を取ることにより皆が家族を大切にする、いや、個々人を尊重すると言ったほうがよいか、という文化が出来上がる。

私は家族と仕事の関係はそうあるべきだと思う。
もっといえば会社と個人の関係とは、会社は個人を尊重し、その人が仕事のほかに大事なものがあればそれを尊重すべきである。
人は仕事だけが人生ではなく、また、仕事以外のことが充実していないと仕事での活躍も難しいと言います。

その割には仕事以外のことを尊重しない文化を持つ会社が多く存在することも事実であるが結局は一人一人がお互いを尊重する姿勢を持つこと、それは一人一人の家族、趣味、生きがい、その他多くの仕事以外のことも踏まえて相手を尊重するということなんだと思う。

それが、「仕事と○○(仕事以外のすべてのこと)」の関係そのものであり、自分以外の人をどこまで理解しようとするかにかかっていると思うし、自分はそのようにありたいと思う今日この頃である。


自分もそうありたいと強く感じ、とても勇気づけられた話しでした。