「目標」の大切さを改めて考える

〜自分の能力を最大限発揮するために〜

2015年3月25日

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学校に行きだしてから、いや、生まれてからかな、いろんな形で「目標」という言葉を耳にしてきましたが、ここ数年人材育成に関わったり、子供の成長について考える中で「目標」について考えることが多くなりました。

そこで、改めて「目標って何か」、「目標を設定する意味」、「目標の大切さ」について整理してみました。


目標とは何か


そもそも目標ってなんだろうか。


それは、「今自分ができないことを身につけること」や「持っていないものを手に入れようとすること」そのものでしょうか。


仕事の中での目標としては、「営業の数字をあげる」、「企画を作る」、「課長になる」など、個人で言えば「英語をしゃべれるようになる」、「結婚して家庭を作る」、「夏までにダイエットする」などいろいろあると思います。


目標には、時間軸の長いものもあれば短いものもあります。

自分で決めるものもあれば人に決められるものもあります。

簡単なものもあれば難しいものもあります。簡単な目標は難しい目標へのステップである事が多いですよね。


でも、どの目標もほとんどの場合小さな目標が寄り集まったツリー構造をしており、それぞれの小さな目標は一つの大きな目標に繋がっていくのではないでしょうか。


それでも良い目標とは、自分自身で決めたことであり、身体が震えるほど自分がやりたい事であり、その実現のために日々の小さな目標を達成していくことができる計画的かつ現実的なものではないでしょうか。


たとえば、それは「ワールドカップで優勝したい」という大きな目標を達成するために「プロサッカー選手になる」という目標を設定し、そのために「サッカーチームに入る」、「毎日サッカーの練習を欠かさず行う」ということ。

しかし、「ワールドカップで優勝したい」という目標には、なぜ「ワールドカップで優勝したい」のかという問いが残ります。

それは、「注目されたい」、「尊敬されたい」、「お金持ちになりたい」といろいろですがでもそれがその人の「根源的な欲求」であり、価値観なのだと思います。

つまり、目標とは目の前のやるべきことを示す羅針盤であると同時に、それをたどっていくと自分の価値観を知ることにつながっていくものなんだと思います。

自分の価値観を知ることで好きな自分も嫌いな自分も知るため特に辛いことですが、それらを受け入れることで嘘偽りなく目標に向かっていけるのではないかとも思います。


目標を持つ生き方で得られるもの


では、なぜ人は目標を持つのでしょうか。

上述した通り自分を知るための手段であると同時に目標は幸福感を高めるための強力な手段だと私は思っています。


・目標を立て、一つ一つ達成していくことで、一つ一つ「達成感」を得ていきます。

・「達成感」は、継続して前に進むための力となる「やりがい」・「自信」につながっていきます。

・「やりがい」と「自信」を持って更にすすんでいくことで「目標達成」と「心の成長」という果実を得ます。

・「目標達成」と「心の成長」は、更なる「やりがい」・「自信」を得るための新たな目標に向かう原動力となるのです。


そして、結果的に長い人生において「目標達成」を積み重ね、「やりがい」と「自信」に満ち、日々「成長」を実感できる生活を送ることを幸せと感じるのではないでしょうか。

それは自分以外の人に言われて行動している「人の人生を生きる自分」とは対極な生き方として「自分の人生を生きる自分」を得ることと同意ではないかとも思います。


目標を持って生きる事を忘れる社会、目標を持った生き方を学ばぬ社会


自分の子供時代を振り返ると明確な目標を持って生きていたとはいえず、家でも学校でもそれが自分の人生にどんな意味があるか、どんな風に役立つかも知らずに、ただ毎日言われた通りにやらなければならないことをやっていた気がします。


高校生ぐらいになってくると大学に行くことが当面の目標となりましたが、その理由は自分が行きたいというより「みんなが行くから」とか「行った方がよさそうだから」もしくはそれまでも道のりを考えると今更別の道を考えられないという状況となっていたり、とにかく明確な目的を持って大学に行きたいと思っていたかというとそうではない気がします。


そう、振り返ってみると人生において「目標の大切さ」、「目標」や「自信」、「やりがい」、「成長」、「幸福感」との関係について人から教えてもらう機会がなかったような気がします。

いや、もしかすると間接的に学んでいるのかもしれないですが、毎日しなければならないことをする生活の中でしっかりと腹落ちするまで考える機会がないのかもしれません。


人生に「たられば」はないですが、もし、もっと早くに「目標」の大切さを今くらいに知れる機会があれば、いや、きっと一回や二回ではわからなかったと思うので様々な機会においてそれを学びチャンスがあったなら自分の人生はどう変わっただろうか。自分の人間力はどれくらい成長していただろうか。


でも、同時に思うことはそれを知ることが年齢を重ね、経験を積み重ねていくということなのかもしれませんね。


目標を見つけるヒント


私も皆さんと同様今まで生きてきた中で「何がしたいんだろう?」と自分に問い、自分で決め、行動するということを繰り返し、今に至りました。

その経験から思うことは冒頭に書いた通り「自分の目標」は「自分を知る」ことと密接に関連しているということです。


目標は人それぞれですが、目標を見つけるために「自分をよく知る」ことが大切であることは共通しているように思えます。


自分をよく知ることは「言うのは易し」ですし、答えもないような気もしますが、私なりに意識してきたことはちょっとまとめてみました。

・好きな事を知る

これだけ娯楽と誘惑が多くある中で自分が本当に好きな事を見つけることは非常に難しい。

しかし、うれしかった事、楽しかった事、その延長線上に好きな事があることが多く、それを絶えず見つけるべきアンテナを立てている事が大切だと思います。


・もっとも大切なことを知る

大切なものは歳を経ることに変わるものでもあり、それを知る事もたやすい事ではないですがそれでもできる限り正解に近づく事で自分の目標に近づくと思います。

私の場合は自分が起こしている行動を振り返り、なぜその行動を起こしたかを考えることで自分が大切にしているものがわかると考え、日記をつけると同時に、後で読み返すということをしていました。


・経済的なことを目標にしない

有名なマズローの欲求の五段階を見てみると経済力により満たされそうな欲求は下の二つである「生理的欲求」と「安全欲求」までではないかと思います。

しかし、その上には集団に属したり、仲間を欲する「社会的欲求」、他者から認められたいと思う「尊厳欲求」、自分の能力を最大限発揮した創造的活動がしたいと思う「自己実現欲求」があり、仮に経済的に満たされ「生理的欲求」や「安全欲求」がある程度満たされたとしても、まだまだ心の奥底から満たされない可能性があることを意味しています。


この辺に経済力は生きるための手段であり、より上位の目標を達成するための手段であり最終目標ではないと言われる所以があるのではないでしょうか。

また、個人的には経済力を最終目標にする生き方は、お金を求めるあまり人としてすべきでない事、自分の意思とは反することをする強力な動機付けになってしまうことがあると思います。そして、そのような行為は自己嫌悪を呼び、自分が本当にしたいことから自分を遠ざけることにつながるのではないでしょうか。


大事なことはお金は大きな目標を達成するためのステップにはなりうるけれど、最終目標にしない方がよいということだと思います。


目標設定における親の役割


親になり益々思いますが、人を育てることはとても難しく、多くのことを考えさせられ、そして学びます。

子育てにおける時間軸の長い目標として私がもっとも大切にしていることは、子供が自分自身で目指すべき道を見出すことです。

そのために何ができるだろうかとあれこれと試しては、最良の方法を模索していますが、最近はとてもシンプルなものではないかと思うようになりました。


そんなことをちょっとまとめてみました。

・機会とちょっとがんばれば超えられる目標の提供=考える機会の提供

「人生の目標を決めなさい」なんて小さい子供に言ってもぽかーんとされてしまうだけですよね。

人生の目標を見つけるためには、自分が心地よいと感じる「もの」や「こと」を見つけ出すことが先決ではないかと思います。


そのもっとも端的な方法は「好きなこと」を見つけることです。


しかし、好きなことを見つけることに関して「選択肢」という観点で我々の子供時代と今の子供たちでは悩みが異なると思います。


私の子供時代は流通している情報も限定的であるため選択肢自体今に比べれば少なく、そういう意味では今の子供ほど見つけることで悩まないと思いますが、選択肢が少ない分、自分への向き不向きという点で適合率が低くなりがちかもしれません。

逆に今の子供たちは多くの選択肢の中から自分への適合性が高いものがある可能性は高いかもしれませんが、その分選択肢が多すぎて目移りばかりしてしまい、結局好きなことを見つけられないということになるのかもしれません。


そんな中で親にできることは、当たり前のようですが「できる限り多くの経験をさせること」、そして、その経験の中で子供がギリギリ超えられる「目標を設定し、挑戦させ、転ばせ(失敗させ)、自分で立ち上がらせる(何かを達成させる)機会を作ること」ではないでしょうか。


その繰り返しの中で、子供たちはいろいろなことを考えていると思います。

「なんでこんなことやっているんだろう」

「楽しくないな」

「悔しいな」

「でも、うまくいくと楽しいな」

「もっとやりたいな」

「でも、もう飽きてきたな」


いろいろなことを頭の中で考える過程が「好きなことを見つける過程」そのものだと思います。

言葉に出すことでそれが自分が好きなことか明確になるため、挑戦し終わった後に挑戦しているときに時にどう感じたか聞いてみるのも良いと思います。


また、子供が挑戦している姿を注意深くみていると、そのことを楽しんでいるかどうかもすぐにわかるものです。

親としてはそういう情報も踏まえて、子供にどう感じたか問いかけると良いと思います。


・自分で決めさせること

大人でもそうですが自分で決めたことは、それをする「理由」を自分で考えることだと思います。

この理由があることで目標を見失ったとき、心が折れそうな時にもう一度前を向いて進むことができるのだと思います。


子供が小さい頃は親や周囲の人が良かれと思い、その子のすること、すきな「もの」や「こと」を決めてしまいがちですが、これは子供が自分で考える機会を奪うことになると思います。

結局自分で決める過程は自分で考える過程とイコールであり、当たり前ですがその機会が多ければ多いほどそれに長けてくるわけです。


・気づきを与えること

しかし、大人でもそうですが自分だけで考え続けていくといつか袋小路にはまってしまい、なんだかよくわからなくなってしまいます。


そんなとき、外からのちょっとした助言が状況を大きく好転させることがあります。

しかし、効果的な助言は、悩んでいる子供の頭で起きている思考プロセスとできる限り近いプロセスを自分の頭の中にもち、引っかかっているところを予想した上で相手に「気づき」を与えるものだと思います。

また、どんな効果的な内容であっても、タイミングが悪いと逆効果になります。

例えば子供がちょうど何かを見つけそうなときに言われるとなんだか宝物を横取りされたような気分になります。


つまり、「気づき」をもたらす効果的な助言を行うためには日頃からできる限り多くの時間を共に過ごし、子供のことをよく見て、よく話し、子供のことをよく知ることが大切なんだと思います。


とはいえ、仕事もあり、家事もあり、自分がしたいこともありで忙しい私たち大人がそう簡単にはできないものですよね。

私もできる限り心がけますが、ふと気づくと子供を見失っていることがあり、悲しい気持ちになることがあります。

でも、諦めずに挑戦し続けることが大人の役割一つではないでしょうか。

一時期人事、組織開発の仕事をしており、その時に人材育成論やモチベーション理論など色々と勉強しましたが、結局大人も子供も成長するためには自分で決めた「目標」が必要であり、成功しても失敗してもその目標に取り組んでいくことでいろいろなことを考え、成長していくのだと思います。そして、親にせよ会社の上司にせよ、育てる側はその人の将来を真剣に考え、暖かく見守と同時に、答えを与えずに気づきを与えていくことに徹することが大事なんだと思います。

自分「目標」、子供の「目標」についてそんなことを考える今日この頃です。